2019.04.07

第二次ディサースリア革命:その夜明け前

第一次ディサースリア革命

ディサースリアの歴史は,「診断の時代」,「治療の時代」,「EBMに基づく時代」の3期に区分される(Yorkstonら,1999).第一期である「診断の時代」は,1969年に発表された古典的なDarleyらによるメイヨ-・クリニックの報告をもって完結し,1970年代に全盛期を迎えた.1980年代の「治療の時代」に入ると,Yorkstonを中心としてディサースリアの評価ならびに治療技術が進展し,一連の手法が開発された.現在私たちが使用しているペーシングボードやリズミックキューイング法など多くの治療手技は,この時期に開発された.こうした時代を経て,エビデンスに基づいて臨床方針を決定する今日の「EBMに基づく時代」が進展している.
ところが,国内におけるディサースリアの領域では,Darleyらが築いた「診断の時代」でその歩みが滞ってしまった.ディサースリアに関するいくつかの専門書が刊行されたり,総説が著されることもあった.しかし,いずれもDarleyらが築いた「診断の時代」を超えるものではなかった.著者はかつてこれを「空白の25年間」と呼んでいた.学会でシンポジウムのテーマとしてディサースリアがとりあげられることがあっても,時代錯誤で退屈な論議が展開している様を端からながめるしかなかった.
ある学会で,私がリズミックキューイング法やペーシングボードについて発表したことのことである.発表後に「わけのわからない言葉を使うな」と座長や先輩たちからたしなめられたものであった.そもそも,私が言語聴覚士になった当初の言語聴覚士の多くは,舌圧子でさえ使用していなかった.学生時代に私がある病院に臨床実習に行き,舌圧子をご依頼すると,ひどくお叱りを受けたものだった.「STはクライアントの体に触れてはならない」,と教えられたものだった.ディサースリアのある人の体に触れないで評価するというのは,暴論も甚だしい.臨床家は体に直接ふれながら,評価するものである.しかし,当時といえばそういう時代だった.
こうしたありさまであったため,当時の国内の言語聴覚士の多くは,1980年以降にアメリカを中心として進展し体系化された臨床的技術について教育を受けることもないまま,極めて古典的なアプローチが臨床で施行されていた.歌を歌ったり,新聞の文章を音読させたり,あるいは口腔体操のようなものが,当時は平然として行われていた.「パパパパといって下さい」という類のレクレーションである.「ディサースリアはどうせよくならないから」という盲目的な概念がすっかり定着していた.「他にやることがないから,とりあえず,口腔体操をやっている」という方もいらっしゃった.
当時の私の主張は,あたかも,鎖国が続く江戸時代に議会制民主主義を唱えるようなものだったのかもしれない.国内では,誰ひとりとして,理解してくれる人はいなかった.しかし,良いものは必ず理解される時がやってくると信じていた.
そこで,私は,ディサースリアは適切に障害モデルに基き,米国で新しく開発された治療スタイルに基いてリハビリテーションを実施すると,機能レベルでも活動レベルで改善することを症例報告と原著論文で報告し続けた.当初の私が徹底して継続したのは,臨床的エビデンスを蓄積することであった.また,国際的に最先端の臨床技術が集約された
標準的教科書を翻訳し,国内に伝えることであった.
こうして,一つの決断を下し,実行し始めた.1996年から開始した,ディサースリア年間講座である.初年度は私の自宅で行った.参加者もわずかに5名であった.しかし,その内容が評判になり,数年後には募集するとたちまち定員の150名にまで達するほどに膨らんだ.やがてこのイベントは私ひとりでは対応できなくなり,日本ディサースリア臨床研究会を結成し,数名の同士の協力を得て,札幌,東京,名古屋,神戸,福岡の5カ所でディサースリア治療技術セミナーを開催した.
いずれも,大盛況であった.「目からウロコだった」「自分の臨床スタイルがコペルニクス的に変わった」という声が多く聞かれた.
また,この間に,ディサースリアに関する教科書,検査法(AMSD),訓練教材,CDなどを出版した.
こうした活動の成果は,大きかった.新しい多様な治療技法が有効であることを実感する言語聴覚士たちの輪は全国的に大きく拡大した.国内におけるディサースリアの臨床スタイルは,一変した.
この1996年にたった一人の人間が起こした活動が,その後約10年あまりの間に全国に広がった変化を,ここでは第一次ディサースリア革命と呼ぶことにする.

第二次ディサースリア革命

そして,今,第二次ディサースリア革命が始まろうとしている.その骨子は,系統発生学的検討からディースリアと嚥下障害を同時並行的に治療可能であるハイブリッド・アプローチである「高齢者の発話と嚥下の運動機能向上プログラム(MTPSSE)」の完成である.すべてのクライアントが日本のどこで臨床を受けても一定水準の効果が一律に期待できる,規格化された体系的な治療アプローチ.これを完成されるために,多大な時間と労力を要した.運動生理学的理論を十分に反映したプログラムは海外にも存在しないだけに,ブレイクスルーを経なくてはならなかった.
また,この体系的治療システムには,私がどこかで発表しようと考えながら未発表のままであった非常に多くの治療手技がふ組まれている.また,この15年の間私の臨床の中で産まれ,育まれてきたものを一挙に公開するものでもある.
1998年に東京で開催された第4回日本ディサースリア学術集会では,1200名収容できる会場を確保したが,立ち見がでるほどの人であふれた.そして,本年20019年度からは最初のMTPSSE講習会が始まる.初年度の講師はすべて私が担当する.約20年ほど前に起こった変化と酷似している.しかし,その規模は今回はとても大きい.初回からすでに定員の150名に達した.しかも,募集を開始したのは,学術集会初日.二日間の学術集会終了後には,既に70名を超える方が応募していた.
第一次ディサースリア革命はとても大きな変化をもたらしたが,残念ながら乗り遅れてその後も口腔体操のような古典的アプローチを続けてきた方も国内にいるという.今回は,全員乗り遅れることなく,成長して頂きたい.なぜなら,私たちの願いは,ディサースリアのある人が国内のどこの施設でも一定水準のリハビリテーションを受けることができる時代を築くことなのだから.
2014年に“Motor Speech Disorders:A Cross-Language Perspective”という本が出版され,世界各国の代表者が自国のディサースリアと発語失行の状況を報告しあった.私は日本代表として執筆し,その後,多くの執筆者たちと意見交換する機会を得た.そうした場で,多くの臨床家が自国で開発された独自のアプローチや治療システムを誇りに思っていることに改めて驚いた.これは,かねてから海外にでかける度に感じてきたことである.何が何でも米国を追随するという態度を改めてよいと思う.
この本が出版されたのは,MTPSSEの構成をある程度確立させた頃であった.MTPSSEには独創的で個性豊かなアプローチが沢山含まれているため,これらを含めるかどうか,それまでは迷っていた.しかし,この本の執筆者たちと議論を交わしている間に,そうした迷いはすっかり消えていった.私たちは日本人として,日本から産まれたアプローチを誇りをもって育んで良いのである.
そもそも,運動生理学的理論を十分に反映したプログラムが米国でも存在しないのは当たり前のことのように思われる.なぜなら,上品なスカートをはいて臨床を行うお国なのだから.私たちは,米国の良い点はお手本として仰ぎつつも,悪しき点は見習ってはならない.そもそも,言語言語聴覚士の養成所指定規則の中に運動生理学が含まれていないのも,既存の欧米の制度に追随しすぎたことも影響しているのではないだろうか.これは,言語学を学ばないまま,言語の障害を扱うようなものである.嚥下も発話も運動障害であることを鑑みると運動生理学は学生時代に習得すべき学問であると思われるが,ここでこうした愚痴をこぼしたところでしょうがない.自助努力でこの問題を克服し,より良いサービスを提供できるように努めよう,そう思いながら,MTPSSEを完成へと導いた.
臨床的に優れているものは,優れているのである.例えば,顔面のCIセラピーが日本で産まれ,普及したように,優れたものは必ず理解されるのである.
20年前,私はディサースリア年間講座を開催し,5回ディサースリア治療技術セミナーを開催すると約束し,実行した.同様に,今回も,5回MTPSSE講習会を開催する予定である.
さて,5年後が楽しみである.革命はどこまで進んでいるだろうか.それまでに,あなたとどこかでお会いしたい.
そのあなたは,成長し続ける.あなたが担当するすべてのクライアントとともに.

日本ディサースリア臨床研究会
会長 西尾正輝
(新潟医療福祉大学)

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