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なぜ私はディサースリアに関心を持つようになったのか?
ディサースリア
臨床研究会

 臨床に就いたばかりのころは,毎日が調べごとの連続であった.臨床現場では学校で習得したこと以外の知識も多く求められるので,誰もがこうした経験をするものである.しかし,一つ一つについて調べて知識を蓄えてゆくことは,楽しくもあった.総合病院に勤務していたので,小児から成人まで,ほとんどあらゆる種類の言語聴覚障害のある方々を診させて頂く毎日であった.多くの医療スタッフの方々から学んだ.

 しかし,どうしても調べようのない領域があった.ディサースリア(dysarthria)である.治療に関する専門書も文献も,ほとんどみあたらないのである.困った.大学の先輩のもとを,近辺の先輩STのもとを尋ねてまわったが,そろって困惑している様子であった.他方で,患者様は続々と言語室にやってくる.根拠もない訓練・指導を行なうしかない自分が情けなかった.

 国内に治療に役に立つ文献らしいものがあまり見当たらないことがわかると,海外の言語病理学の領域に目を向けた.驚いた.ほぼ毎年のようにディサースリアの専門書が出版されていたからである.こうした文献を夢中で読みつづける私の毎日が始まった.やがて,アメリカのシアトルにあるワシントン大学のヨークストン先生がこの領域の世界的リーダーであるということを知り,思い切って手紙を出してみた.研修を受けさせてくれないか,という依頼状である.恩師である大阪教育大学の竹田契一先生はヨークストン先生と面識があるということから,推薦状を書いてくださった.

 ダメでもともと,と思って書いたアジアの果てからの手紙であった.しかし,ヨークストン先生は意外にも引き受けてくださった.行きも帰りもひとりぼっちの旅であったが,それで良かった.真夜中の成田空港を出発してシアトル空港に到着すると,彼女の同僚のパット先生が出迎えに来てくれた.真っ赤なドレスで,「Mr.にしお」というカードをかかげて.シアトルに滞在している間は,彼女が私のスーパーバイザーを担当してくださった.日本語は全く話せなかったが,日本にはとても関心があるということであった.ホテルの予約などすべて彼女が親切に面倒をみてくださった.

 翌朝指定された時間のバスに乗って大学病院にでかけると,バス停でヨークストン先生が待っていてくださったので驚いた.私がバスから降りると,笑顔で両手を差し出して出迎えてくださった.うれしかった.関連施設のSTの方々は,皆とても親切であった.誰もが颯爽としていた.自身に満ち溢れているようにみえた.嚥下障害についても,初めてここで本格的に学んだ.シアトルの街はうつくしく,休日には海辺ですごした.一転して視界が開けてきたようであった.充実感があった.

 つまり,私がディサースリアについて関心を深めることになったのは,患者様に何もしてやれない自分が悔しかったからなのである.自分を詐欺者のようにさえ感じる日々に耐えられなかったのである.

 かつてシアトルから日本に帰るときには,一人ぼっちであった.しかし今,私の周囲には,ディサースリアについて共に語ることのできる多くの日本人がいる.ディサースリア臨床研究会の会員の方々である.ようやく,夜がうっすらと明けようとしている.